さよなら国立競技場 2

国立競技場に初めて行ったのは、たぶん中1の時。『ペレサヨナラゲームインジャパン』だったと思います。ペレがニューヨークコスモスという当時アメリカにあったプロリーグの選手として来日。ベッケンバウアーも所属していたかもしれません。日本代表との引退興行だったと思います。

サッカーなんて町内のどこにも存在していなかったのですが、僕の中学に当時のサッカーどころ埼玉県から越境で入学してきたヤツがいて、その同級生が僕に最初の手ほどきをしたのです。初の国立も彼に連れて行ってもらいました。「アメリカのサッカーリーグなんてのは邪道で、本場は南米とヨーロッパ。」「ペレもベッケンバウアーも、もうピークは過ぎた選手。」なんて…。
バイエルンミュンヘンブンデスリーガアディダス、ダイヤモンドサッカー、ワールドカップ、クライフ、オランダ代表、ブラジル代表、サッカーマガジン高校サッカー浦和南静岡学園‥。それまで耳にすらしたことがないワードが次々に飛び込んできました。そうやってズブズブと深ーくて広ーい世界につかっていったわけです。

国立競技場ではその後釜本の引退試合や、マラドーナの世界デビュー、度肝を抜かれたワールドユース決勝、オフトジャパンのTM、バティステュータ擁するアルゼンチン戦。同じくW杯予選、対UAE戦。奇跡的に抽選に当たったJリーグ開幕戦と、まあそう自慢できる回数ではありませんが、その他にも代表の親善試合とか、ちょこちょこと行ってました。
そして、何と言っても天皇杯決勝。
今だに家族ぐるみでつきあいのある僕の中学時代の恩師が、教員組合のつてで天皇杯決勝のチケットを手にいれてくれて、今年まで20年以上に渡り、毎年送って頂いていました。
初めての試合は確か Jリーグが始まる前。ちょっと怪しい記憶ですが、日産対読売クラブで、延長で日産が優勝を決めた試合だったと思います。まだ小学校に上がる前の長男を連れて行きました。それからうちの元日の恒例行事になったのですが、その長男が、大学時代から実際にこの大会に出場するようになり、より親近感を覚える大会になりました。

昨年長い教員生活を終えた恩師から「今年が最後かな」と届いた今年の天皇杯決勝は、奇しくも2020年の東京オリンピックに向けて全面的に建て替えることになった現国立競技場で行われる、最後の大会となったのです。何年か前から、このチケットは二人の息子のモノになってしまったのですが、今回ばかりは別。「これは、目にとどめておかないと」と、がっちり着込んで、元日の朝、千駄ヶ谷に向かいました。

これも巡り合わせなんでしょうか、初めて生で見た天皇杯の優勝チームを母体としたクラブが今年の天皇杯を制しました。今季のJリーグで、最後の最後にひっくり返された、サンフレッチェ広島が相手だっただけに、Fマリノスとサポーターの喜びはひとしおだったでしょう。

試合のことに少しだけ触れると、広島は、相手が組み立てに入ると両サイドのMFも引いて5バックとなります。そしてその前に佐藤寿人を除く4人が引いてブロックを作るのですが、対する横浜FMは、FWとMFの後ろ(というか、中澤とドゥトラの間くらい。ほぼ最後尾)に中村俊輔がポジションをとっていました。誰もマークには来ません。相手エリアまで運ぶと、左から斉藤、右から小林が積極的にドリブルでつっかけて行きます。こぼれ球を中町、富澤が回収。相手を押し込んでる状況で、俊輔もスルスルと上がっていき、受けたボールを狭いところにピンポイントでパス。Jの各チームが手を焼いた広島の守備ブロックを破って行きます。 広島は寿人も、寿人へのホットラインもほぼ抑えられ、このゲームはなす術もないといった感じでした。

この日は横浜FMのサポーターの応援も見事でした。これは、20数年前にはなかった風景です。


日産が優勝した時は、確か木村和司さんと水沼貴史さんが、応援席の方に行って万歳していたような記憶があるのですが、まだサポータって言葉は浸透していなかったなあ。まあそんなことから始まって、それこそ、僕が初めてここに訪れた時のことを考えれば、日本のサッカー界はもう信じ難いほどの変化です。「ワールドカップは4年に一度で、その規模はオリンピックより上なの!ワールドカップの上に『サッカーの』なんてつけないの!」なんて例の同級生に教わって、ダイヤモンドサッカーを食い入るように見てた頃の自分に、会いに行って教えてやりたいです。
「おまえがおっさんになる頃には日本にもプロリーグができてて、韓国と共催でワールドカップをやっちゃって、すげえ才能を持った選手が次々にでてくるんだ。そこから飛び立ったやつらが、今見てるそのドイツのリーグなんかで何人も活躍してるんだぜ。」「しかもそこからイングランドマンUに移籍したやつが代表の10番つけてて、左のサイドバックインテルのバリバリのレギュラー。そんでもって、日本のエースは来季からACミランで10番つけるんだぜ!」「そいつらが、ワールドカップで優勝を狙うって真顔で言ってるんだけど、信じるか?」

きっと信じないだろうなあ。
当時、1FCケルン古河電工から移籍して行った奥寺康彦さんのことはもう夢のような話として受け止めていたのですが、専修サッカー部のキャプテン長澤選手は、大学卒業後にケルン入団が決まりました。この話も時代の移り変わりを物語る話題です。

いずれにせよ、この国立競技場で見られる天皇杯も、ここでの僕のサッカー観戦も終わりです。


長い間ありがとうございました。