失敗を恐れちゃいないか?

サッカーをやっている小学生の親にとって、(親自身がサッカー初心者の場合は特に)子ども達への評価は簡単ではありません。

サッカーが根付いているヨーロッパでは、親も詳しいので、少年サッカーを見る目も厳しいという話を聞いたことがありますが、この国はまだまだそこまでは行ってません。サッカーは数字に現れないプレーがほとんど。「スペースが」どうのこうのとか「パスの受け方」がどうのこうのと言われても、わかるものじゃありません。だから、結局「勝った」「負けた」「点をとった」「点とられた」というところで判断するわけです。



小、中学時代は、サッカーも勉強同様、基本を積み重ねる時期。だからと言って何も特別なことをするわけではなく、ただしっかりサッカーをやる。しっかりやらせることで、サッカー選手としての基本を積み重ねていくべき時期だと思うのです。

勝負事だから、勝利を目指すのは、あたりまえ。しっかりサッカーをやって、勝てばいいのです。しかし、それがそう上手いこといかない…。

町の普通のクラブや部活には、いろんなレベルの子が一緒にプレーしているわけで(そう、教室の中と一緒です)、サッカーへの気持ちの入り方も様々。そんな子達をまとめて、しっかりサッカーをやらせて結果もだす、というのは並大抵のことではありません。
しかし、それでも、負けがこんでくれば(そこが、評価のメインだから)、小言があっちこっちからでてくることもあります。
そんな親の話にも時たまつきあいつつ、審判はやる(免許の更新もある)、マッチメイクや大会運営みたいなこともやる、イベントもやる、もう本当にコーチは大変です。



お父さんお母さんの子どもたちへ送る声援は、みんなとても熱い。でも「そこは褒めるところじゃないでしょう」ということは多いです。
自陣にボールが来ただけでヒヤヒヤするものだから、体の大きな子が、ボカーンと蹴っ飛ばせば「よおーし!」という声が上がる。たまたま、それが、足の速い子の前に飛んでって、その子がシュートを決めちゃったりしたものなら「ウワー!!!!」と大歓声。「ナイッシュー!」なんて…(あくまでも例え話しです)。

何度も見たこのような風景です。
私もベンチで「まいっか、入っちゃったんなら」なんて何度妥協してきたことか。でも、その体の大きな子も、足の速い子も、果たして立派なサッカー選手になれるのでしょうか(例え話です。あくまで)。



「しっかりサッカーをやる」とはどういうことなのか。私は「意図的にボールを奪い、運び、シュートを打ち、そしてゴールを決めること」と理解しています。
何せ、足でボールを扱うスポーツですから、偶然が左右することが多い。「へたっぴ」同士の試合であればあるほど、頻繁に偶然が顔をだします。それを、より意図的なプレーに近づけていく(もうちょっとつっこめば、個人の意図したことが他の選手とつながって、チームプレーになっていく)ことが、小、中学年代のサッカーコーチの役目なんじゃないかと思っています。
負けていいというのではありませんよ。試合ですから、勝ちに向かうという目標はもちろん明確にあります。でもこの時期に多くの子がしっかりとサッカーをやることは、そのために間近の勝負を落とすことになったとしても、先々の、もう少し大きな勝利に近づくことになると思うのです。



「てびサル」はチームじゃないので、コーチとしてあんまりしがらみがありません。そういう目でみていると、「失敗を恐れている子」がけっこう多いことに気がつきます。
何度も言ってるかと思いますが、試合で試してみないとできるようにはなりません。試さないから失敗もしない。負けたくないから、自分が失点にからみたくないから、知らず知らずのうちに、無難なプレーばかり選択するようになってないかな?



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