アウェーで戦う

18年ぶりの大阪でした。
その年のはじめに、新しい仕事につき、直後に関西で大きな地震があり、程なくしてそちらで建て替えの需要が急増しました。「関西に行ってくれ。いつ戻れるかはわかんない」という、めちゃくちゃな(というか、万事こんな感じなんですけど)申し入れを、新入りの私は受け入れるしかありませんでした。長男が小学校に入学、次男が生まれて間もない頃でした。


結局半年とちょっと。大阪の寮で過ごしながら働きました。いろいろあって、忘れられない日々でした。私にとって、いろんな意味でそこは「 アウェー」で、何かときつかった。仕事場でキツくて、寮に戻ってまたキツくて…と。でも、不思議と、その状況に慣れてくる。そして少しづつ自信がついてくる。今にして思えば、自分にとって必要な時間だったと思います。

ただ、クソガキ盛りと、生まれたばっかを残されたかみさんにとっては、私以上に怒涛の毎日だったわけです。その苦労を思うと、今でも頭が上がりません(それがなくても上がりませんが)。

次男、岬がU-18の候補に選ばれ、大学との練習試合が組まれていたので、週末を利用してJグリーン堺まで、観戦に行ってきました。


思えば二人の息子は、小さい頃から、少しづつではありますが、慣れ親しんだ環境から、外へと進んで行っているような気がします。

でも、このフィールドで戦ってる選手達にとっては、それはごく普通のことなのではないでしょうか。親元を早くから離れて、サッカーに打ち込んでいる選手だっている。彼らの身近には、海外でプレーしている兄弟や先輩もいる。

何かを掴むために、何かを犠牲にして、高みを目指す。それが、もはやあたりまえになっている人たちなのかもしれません。



今回のことで、多くの方に応援のメッセージを息子は頂きましたが、候補になったことで、本人が手放しで喜んでいるような様子は、一度も見ることはありませんでした。大変な重圧の中で、努めて普通でいようとしていたように思います。


U-20ワールドカップへの出場を三大会連続で逃している日本にとって、アンダーカテゴリーとはいえ、このチームは選手に経験を積ませるだけのチームではないはずです。困難な使命を背負ったチームにとって、選手は、アジア予選を突破するための戦力として使えるかどうか、恐らくそういう基準で選ばれるのではないでしょうか。
普段やっているポジションと違うとか、国際試合の経験がないとか、そんなことは、なんの言い訳にもならないのだと思います。
求められることを、できるのか、できないのか?そういう基準を乗り越える選手が、結果的にJ1でレギュラーを取り(すでに候補の中には、そういう選手がいるのです)、オリンピック代表や、A代表という上の代表へ上がって行くことに繋がるのではないかと思います。



自分の何をどうすればいいのか?岬はこの合宿で突きつけられてきたことでしょう。
しかし、それはプレーそのものだけではなかったかもしれません。

オフでは普通にいいやつだったり、愉快な奴ら。全国的にも名の通った連中と、友達にはなれたかもしれない。でも、もしかしたら、彼らの中である種のアウェー感のようなものも味わったかもしれません。

兄もそうでした。旅から帰ってきた息子の顔つきを見ると、ふとそんなことを思います。


今回の合宿が、また新しい旅の始まりになるのでしょうか。