歩いていこう

昨日も揺れました。
午後3時30分に私の現場の電気はいつものようにぷつりと消え、電気なしで出来る作業を済ませ、はや上がり。このままじゃ、この先ちょっとやばいなあ、と思い辻堂の金物屋さんに充電式のバッテリーで使える工具の物色に行きました。停電中でも、できることを増やさないと…。
しかし、考えることはみんな一緒。店にお目当ての品は全てなし。メーカーの工場も被害を受けたらしく、入荷の予定はないとのこと。あきらめて、隣の湘南モールに、もう切れかかっている自分ちの米を探しに行くことにしました。
「店に入って、なくて、あきらめる」ここのところ毎日、同じようなことを繰り返しているような気がします。
千葉沖を震源地とした今日何度目かの地震は、湘南モールの中で、でした。ビルの中というのは、それはそれで恐いものです。
それにしても、皆慣れているというかなんと言うか。気がついていても普通に買い物を続けています。一番ビビっているのが自分のような気がしました。


コワいと言えば、うちのカミさん。
震災以来、家に帰ってくると、毎晩なーんか怒っています。もともとコワいんですが、ここ最近はちょっと訳が違います。「あんたこの非常時に何、のんきな顔してんの!」というような。私は私なりにいろんなこと考えて一生懸命働いているのですが、「そんなんじゃ甘いのよ!」というような、視線が突き刺さってくる感じなのです。
ただ、それは無理もありません。原発から離れているとはいえ、彼女の父親と弟が福島に住んでいます。福島第一原発の未曾有の危機は、彼女の肉親の目と鼻の先で起きているのです。それに加えて、普段、自分からテレビを見ることなどまずないカミさんが、テレビのニュースとインターネット経由の情報を浴びている。
ピリピリするなと言う方が無理というものです。


先日の日曜日、次男の高校のサッカー部で保護者会があるというので、私はかみさんに「天気もいいし高校まで歩いて行かないか」と持ちかけました。仕事で使うガソリンの無駄使いをしたくなかったこともありますが、お互いの気分転換もかねて、というわけです。
KFCのコーチさんと子供達が自主練をやっていたUFO公園を皮切りに、片瀬山の駅のトンネルをくぐり、住宅地の先の公園へ。この中にちょっとしたハイキングコースがあって、藤沢の新林公園までつながっているってのは、このへんの人なら誰でも知っているんですが、そのコースで藤沢まで抜け、県道に添った裏道、小道を通って、遊行寺にでて、本町の高校へとてくてく歩きました。






町はいつもの日曜日に戻ったような気がしました。というより、何かむしろ以前より生き生きとした感じすら受けます。
私たちのように花や木々を見ながら歩いている人。走っている人、サイクリングをしている人…。大げさな言い方かもしれませんが、これまであまり意識をしていなかった、自分が生きているという実感を、それぞれが抱いているように私には見えました。そんなことを一人勝手に想像していると、

「公園の上り下りが余計だった。あのコース、はっきり言って失敗。ふつうにまっすぐ歩いてれば、とっくに着いてたよね!?」
カミさんも心なしかパワーアップしています。。。




計画停電や公共交通機関のダイヤの変更には正直驚かされます。もうちょっとなんとかならないのか、という意見があるのかどうかは知りませんが、限られた時間の中で複雑で大規模なシステムの変更を、毎日やっているってことに私は単純に驚きます。業務に携わっている方々のご苦労は大変なものだと思います。


朝、信号の停まった交差点で、学校の先生が子供達のために交通整理をしていました。それを、何台もの車が普通に待っています。それぞれが、これから多くの事態が滞っている職場に向かうのでしょう。私には車中の人々が、駅に向かって歩く人々が、きっと似たような思いを抱いているような気がしました。


「東北には、肉親や友人や住処や職を失った30万を越す人達が必死にまた生きようとしている。福島では、原発の危機と命がけで戦っている人達がいる。自分たちが負けてはいられない」




2時間近くかかって高校にたどり着くと、グラウンドで練習する多くの若者達の姿が飛び込んできました。体育館の使用を市から止められたために、この日からてびサルはお休み。どうしようもないのですが、早く再開したい。グラウンドの高校生を見ていたらそう思えて仕方ありませんでした。


20日のてびサル  お休み
3月中は、体育館の使用が出来ず、お休みです。


(Kazu)