真夏のゴール

忘れられないゴールがあります。
どっちが勝ってどっちが負けたのかも、今となっては覚えていないのですが、そのゴールだけは忘れられません。



次男が中学3年生の時、所属していた中学のサッカー部が、夏休みに、ホームグラウンドで J クラブの下部組織と練習試合をすることになったことがありました。公立の中学校のチームですから、普段はなかなか J 下部のチームと練習試合なんてことはなく、次男たちのチームももちろん、そんなことは一度もありませんでした。
それがもうそろそろ引退というそんな時期に、どうしてまたそんな試合が組まれたのか。
私は首をひねるばかりでした。



小学校低学年から真摯に大事に、ずっと高いところをイメージして指導を重ね、高学年になってぐっと伸びてきた子も何人かいて、成果が出てきたかな、と思っていました。
6年時には市の選抜に5人が入り、個々の実力もチームの雰囲気も申し分ないかな、という状態で、中学入学直後には、県トレセンの湘南地区選抜にも2人が入りました。
その上にもっと積み重ねていってくれることを期待して、私は中学の指導者にチームをほぼ丸ごと受け渡しました。


しかし中学で3年を経ようとしている次男の学年は、さほど厳しいとは思えない市内大会すら突破できないような状態になっていました。
そんな当時のチームの力から言って、Jの下部組織とやらせる意味がどこにあるのか、私には全く解せませんでした。
中体連の大会終了後に、強いチームとやらせて、どんな意味があるのでしょうか? それとも「記念受験」のように、名のあるチームと試合をしたという思い出づくり?

もうこうなったらせめて、1人でも多く高校サッカーへ向かわせてもらいたい、と願っているくらいなのに、この試合でそれすらボロボロに壊れてしまうんじゃないのか?
地元の後輩や、その親、ジュニアのコーチ達、そんな人々が見る前で、彼らはどんな思いでその試合を戦わなければならないんだろう、と私は本当に憂鬱でした。




ところが、そんな私の心配をよそに、当たり前のように自分たちの力を信じている2人がいました。
「勝とうぜ」
特に力を込めるでもなくごく普通に、YとMは試合の何日か前の夕方、どちらからともなくそう言って別れました。



試合は一方的とは言わないまでも、相手ペースで進みました。ボールを保持して、意図的に相手を崩すという戦い方は、普段の中体連のゲームでは見られないものでした。


確か、後半だったと思います。
相手の左サイド。そう、ちょうど朝礼台の前辺り。
サイドバックと中盤の選手がパス交換している時だったかな、こちらチームのボランチMはそのボールを奪って、相手2人のプレッシャーを背中を向けてキープ。半身で相手をブロックしながら左足で1メートルほど持ち出すと、そのまま逆サイド、砂場の辺りで、フリーで構える左サイドハーフYの足先に、ドンピシャのサイドチェンジを通しました。
Yは完璧なファーストタッチで自分の前に落とし、次のタッチで得意の左足を振り抜きました。なんの迷いもなく蹴られたボールは、次の瞬間、相手ゴールのサイドネットに突き刺さっていました。



「勝とうぜ」と約束した二人が、Jクラブのゴールを破りました。







YとMはそれぞれ別々の高校のサッカー部へ入部し、3年間汗を流しました。
そして最後の選手権。2人の高校はベスト16をかけて対戦しました。
試合後、ピッチに立てなかった左サイドハーフのYは、今は相手チームとなったボランチMの母親のところに挨拶に来たそうです。
複雑な思いもあるはずです、でも何かをやり遂げた笑顔で、「どうもありがとうございました。」と、頭を下げたそうです。



多くの高校サッカー選手が、またフィールドから去って行きます。
彼らの一瞬一瞬のプレーは、もしかしたら、記憶から忘れ去られて行くのかもしれません。ましてや、無名な彼らが流した汗や涙を知っているのは、彼ら自身だけなのかもしれません。




でも、私は、3年前のあのギラギラとした真夏の日のゴールを、きっと忘れることはありません。