終わったよ、とヤマジは言った

なんと大げさな、と言われるかもしれません。
無数にある”負け”の1つにすぎないのも承知しています。
でも。
失恋がそうであるように、これもまた「小さな死」なのだと思ったのです。
本気で夢見たもの、自分のほとんどを賭けたもの、続くと信じていたものを失う、断たれる、痛み。



トーナメントで笑って終わることが出来るのは、頂点に立った1チームだけなのですから、それ以外のチームは負けて終わる。勝ったチームよりもきっと何かが足りなくて負けたのでしょうけれど、それが努力なのか対策なのか気持ちなのか運なのか、今はまだわかりません。
数多い高校チームの、応援する親の立場でしかないですが、私は、長男で3回と次男で3回、選手権予選での負けを味わったことになりました。
計6回の挑戦をもってしても、ゼンコクの扉の向こうを見ることは遂に出来ませんでした。



2年前新潟アルビレッジの木陰で、中京大中京(全国大会常連校ですね)のGKコーチの方が「ゼンコクへ行く、というのは、本当に大変なことだヨ」とおっしゃっていたのを、大会のたびに噛みしめてきましたが、今回もまたつくづくと噛みしめます。苦い味がします。
人に言ったら、大のオトナがそんなことで、なんと大きなへこみぶり…と笑われそうですが、それでもかまわない。
この悔しさ、かなしさ、無念さは、本気で夢見た人だけが味わうものだから。




家に帰って口もきかずにお風呂に入り、ご飯も食べずにヤマジは部屋にこもったまま出てこなかったそうです。やっと出てきたと思ったら、ひと言だけ。「終わったよ」と。(※注1)

何をどう言おうとどう考えようと、もうこのチームでゼンコクへ行くことは出来ない、選手権は終わった。それが事実。
泣いてもいいんだけれど、受け入れなくてはなりません。たくさんの先輩たちもそうしてきたのだと思うと、今笑ったりふざけたりして暮らしているその先輩たちが、実に偉大に見えます。




長男が選手権で敗れたのは6年前のことになりますが、よく覚えています。「俺はもうサッカーをやめる」とか(※注2)、「♪そんな時代もあったねと〜(※注3)って、俺もそう言えるようになるのかな…」とかと呟いて、本人も私もしばらく魂が抜けたような状態で暮らしていましたが、1週間ほどした頃でしょうか、始動し始めた1〜2年の新チームがたまたま近所で練習試合をしていました。それまで廃人同様になっていた長男は、「近所だから、しょうがない、ちょっと顔を出してくる」と私服で出掛けたのですが、すぐに走って戻ってきました。
挨拶をして試合をぼんやり見ていたら、監督に「ちょっとやってみるか?」と言われたそうです。そしたらつい「はい!」と答えてしまい、さっきまで「俺はもうサッカーをやめる」と言っていたのに、「5分で取ってきます!」とスパイクを取りに坂を駆け下りて来たのだそうです。速攻で練習着に着替えスパイクを持って、ご主人に呼ばれた犬のように大喜びですっ飛んでいくうしろ姿を見ながら、「なーんだ、コイツ、サッカーならなんでもいいんじゃん」と笑ってしまった。



人から受けた傷は人で癒されるものだし、仕事の失敗は仕事で取り返すしかないように、サッカーの悔しさはサッカーで償うしかない、と思うのです。
それは、次の試合で勝つとかプロになって見返すとかそういう漫画にでもありそうな劇的なストーリーではなく(※注4)、ただサッカーを続けること、蹴り続けることなんじゃないかな、と思ってみたりします。
本気で夢見て、だからこそ本気でかなしんだ者だけが味わうことの出来る楽しさが、きっとある。
夢見て破れたぶんだけ、きっと強くなれる。


(A)



※注1 すみません、ヤマジくん、無断伝聞引用です
※注2 あ、これはしょっちゅう言ってます
※注3 中島みゆき「時代」ですね、言わずと知れた。なんでそんな歌を知ってたのか?疑問ですが。
※注4 それでもいいんだけどね