アマチュアサッカークラブを作ろう! 2

前回書いた説明会からこのひと月ほどの間は、県の三部リーグ参入に向けて、選手とチームの登録、ユニフォーム作り、選手集めといったことで動いた、かなり中味の濃い時間でした。言い出しっぺの私と、数名の女性。そして、高校卒業を間近に控えた若者三人。このメンバーでフリッパーズは動き始めました。

登録にあたって大活躍してくれたのは、私のかみさんも含めた何人かのお母さん方でした。「夢とそろばん」ということばがあるそうですが、私はどこにでもいる、ただ夢だけを口走るおっさん。それを実現するための実行部隊の中心は彼女たちでした。

てびサルの再開に向けて動いていた時に、私はお母さん方の地域に持つネットワークであるとか、事務処理のスキルだとか、フットワークの軽さだとかに度肝を抜かれていたので、クラブの立ち上げには彼女達の力は欠かせないと思っていました。
仲間の中には、町クラブのいわゆる「渉外さん」を務めていた方(別々のクラブで2名も!)や中学校のPTA会長さんをやっていた方がいます。うちのかみさんは、トレセンの保護者会会長や、ついこの前までは100人近い保護者会の会長をやっていましたし。そして何より、サッカー選手を一人前になるまで育て上げている方々です。この手のことに関する話の通りが早い!小学生何十人の登録という大仕事を経験した方々にしてみれば、選手10数名の選手登録なんて「ああ、あれね」という感じ。オチャノコサイサイなわけです。



選手である三人の若者は、運営面でのクラブ作りに関わりながら、他の選手とのパイプ役も担っていました。

フリッパーズのLINEを作ったので、入って下さい」と彼らに言われ、(ガラケーじゃ無理かと思っていたのですが、わりと簡単に)iPadで登録。それで、ユニフォーム作りの相談などを始めました。私がこうるさく注文をつけた内容を、選手間の別のLINEで話し合い、また私と確認。こじれそうになった時は、実際に仕事から帰って、夜に会ったりしました。皆の意見を汲んで私にきちんとものを言う姿勢は、真剣そのもの。自分もいい加減な態度じゃいけないと思わされたりもしました。



ロンドンにあるアーセナルという人気クラブは、ベンゲルというフランス人監督が、無名の若手をスカウトしてきて育て上げ、イングランドの伝統的なロングボール戦法とはひと味違うパスサッカーで、成功したクラブです。しかし、アーセナルで開花した選手が、他のクラブに高額で移籍していくという話は毎年のようにでてきます。その度に聞かれるのが「(そうした選手は)アーセナルのアカデミーで育った生え抜きではないので、クラブへの愛着や忠誠心が薄い」というようなものでした。

社会人のクラブを作ろうと思い立ったときに、私はこのことが頭に引っかかっていました。まったく母体のない、新しく作るクラブへの愛着とか、いわゆるアイデンティティーって、どうしたら持ってもらえるんだろう?

でも、三人を見ていて答えはすぐにでてきました。

一緒に作ればいいんです。

一生懸命友達に声をかけて誘って、ユニフォームのデザインを考えて、みんなの意見を聞いて、お店で交渉してと…。自分たちで苦労して作っているんだから「このクラブはなくせない」っていう気持ちは自然に生まれてくるもんなんですね。




だったら、ほかの選手も一緒に作ればいいんじゃないか、そうすれば、ひとりひとりに、クラブへの愛着が湧いてくるんじゃないか、となったわけです。

ん、でもあと何を作るの?

アマチュアサッカークラブを作ろう! 1

なにかを始めようという時に、それにブレーキをかけるようなことって、必ずと言っていいほどあります。ギリギリのところで「失敗したらどうしよう?」という気持ちが勝って、自分でブレーキをかけちゃったり「これは絶対に、やった方がいい」と誘っても、まったく乗ってこなかったり、反対されたり、始めたはいいけど途中で抜けられたり…。
私はそのどちらの側も、経験しています。もちろんどれも、いい思い出ではありません。でも、そういった経験が、今役にたっているのかなあと思ってます。

ご存知の方もいるかもしれませんが、何人かの人たちと、社会人のサッカークラブを作ることになりました。半年くらい前から、ぼちぼち動きはじめていて、ちょっと前に、選手になろうと思っている人、どうしようかと迷ってる人を呼んで説明会を開きました。2013・2・9。この日、ちっちゃなサッカークラブが始まったわけなんですけど、けっこうやることいっぱいあるし、不安もいっぱいあるんだけど、始めてよかったって、ジワーッと思ってるところです。

このアイデアを話した時に「それは、おもしろいですね!」って開口一番に言ってくれた若者がいます。そう。私もかたい場所で説明した時とかは、なんかその意味とか、意義とか語ったんですが、ホントはただおもしろいんです、このハナシは。そこがわかるか、わかんないかが、分かれ道かなあと、思います。そこは理屈じゃなくて、言ってしまえばセンスというやつなんでしょうか(こっちが悪いのかもしれませんが)?
  

これを読んでる小中学生の保護者の方とかには、いまいちピンとこないかもしれません。
もう何年かして、「こういうのもアリだなあ」と感じた時に、息子や娘がサッカーを続けていて欲しいなあと、思います。その子が、つらいことやイヤなことを乗り越えて、それでもサッカーが好きで、まだやりたいなと、思っていてくれたらいいなと思います。

今回、そういう若者に何人も出会えたこと。それがうれしかったことのひとつです。


ある若者とは、ほぼ初対面だったんだけど、てびサル帰りに送って行くことになり、車中でずっとサッカー談義。アーセナル好きということを知り「フレブは今どこでやってんの?」みたいな話で盛り上がりました。ポゼッションサッカーを、うまくいかせるにはどうしたらいいか、という質問をしたら、はっきりとした自分の考えを持っていました。
彼は、私でも知っている名門大学のそれまた名門学部に春から進学。その大学の有名なサッカーサークルに行くかもしれないとのこと。きちんと私に話してくれました。

清流のメンバーも、何人かこのクラブに入ることになったのですが、その一人一人に熱心に声をかけてくれた若者は、私の所属している少年サッカークラブのとなり町のライバルクラブの出身。小さい頃からよく知っていました。彼の丁寧な誘いがなかったら、ここまでこれませんでした。

湘南学院サッカー部出身の若者は、信頼するサッカー部の友人一人に声をかけました。その彼は、近くのかなりしっかりとした社会人クラブへ入るという話もあったのですが、新しいクラブの立ち上げに関われることに魅力を感じ参加を決めました。


それぞれの、いろんな思いがあるのですが、この話をきっかけに出会った連中が、とりあえずてびサルに集まってプレーしている様子は本当に楽しそうでした。


てびサル日記でも、このクラブのこと、ちょいちょい報告していきたいと思います。


ま、ともかく『江ノ島 フリッパーズ』始動しました。よろしくお願いします!





Facebookページ、良かったら覗いてみて下さい。
江ノ島フリッパーズで検索するとでてきますよ。

部活か、クラブチームか

少し前のことになりますが、保護者の方に「中学になったら部活がいいのか、クラブチームがいいのか」といった質問を頂いたので、参考になるかどうかわかりませんが、私の考えをちょっと書いてみました。

といっても、私の息子は二人とも町の少年団、中学校の部活出身なので、クラブチームの事情についてはわかっていません。いわゆるスクールのような所にも通った事がないので、そこでどのようなことが行われているのか、知りません。当然、両方を比較してどちらがいいのか、という考えは述べられません。
ですから、どうやってこのことを考えたらいいか、という書き方をしたいと思います。

うちでは、子どもに「普通にちゃんと生きていって欲しい」ということをまず考えていました。「ちゃんと生きていく」というのは「自立する」と言いかえてもいいかもしれません。(そんなに立派じゃなくていいから)いつか自立して自分で生活を始められるように、そこから逆算して、子どものことを、いろいろ考えていたように思います。


家訓のようなものがあるわけではありませんが、「これはいい」「これはダメ」という線引きはけっこう厳しかったんじゃないでしょうか。
挨拶とか、返事とか、まあごく普通のことを小うるさく言っていたように思いますが、ひとつよく覚えているのは、小、中学校の頃は、友人宅に泊まりに行ったり、家族ぐるみで夜他の家庭に行ったり、という誘いは断ることが多かったと思います。
これはかみさんの「家族というものを曖昧にしない」という考えが基本にあります。「夜はうちに帰って、うちで過ごすもの!」という考えでした。そこでは「うちと友だちんちと、どちらが楽しいのか」という選択はありません。つまらなかろうが寂しかろうが、ともかく基本的に「夜はうちに帰って、うちで過ごす」という、はっきりとした線引きでした。

今思えば、そのへんの考え方も、部活を選んだひとつの理由だったかもしれません。つまり、学校帰りに場所を移動してサッカーをして、夜遅くに帰ってきて、というような生活を中学生にやらせることに抵抗があったのです。その移動時間に、校庭でいくらでもボールを蹴れるし、うちで勉強もできる(まあそれはそこそこでしたけど)。そんで、しっかり食って寝て、早起きして、また食って、と。そういうリズムを大事にしたかった、という考えです。



そうした「ちゃんと生きていって欲しい」という考えを基本に、進路も考えました。最近よく見聞きする「サッカー選手として成長するためには、人間力も必要」というのではなく、プロサッカー選手になろうがその他の職業につこうが、まずちゃんと生きろということ。人としての成長が先にあります。だから、サッカーのことだけを考えて高校を選ぶこともしませんでした。

↑ あるクラブチームの選手の着替えた後です。きちっとしてます。


くれぐれも誤解のないようにして頂きたいのは、クラブか部活かで人間性が決まるということを述べているわけではありません。部活出身でも、クラブチーム出身でも、しっかりと成長している子はいますし、ちょっと…という子もいる。あまり関係ないのかもしれません。

部活、クラブチーム、どちらの内容がいいのかという考え方だけではなく、どう子どもに成長していってもらいたいか、そのために今、何を大切にしたらいいのか、その場合の時間の使い方はどうなのか、ということも考えてみた方がいいのではないでしょうか。
で、選んで入ったら、そこで起きるいいことも悪いこともひっくるめて、精一杯やりきる(よっぽどのことがあれば、それは別ですが)。そういう導き方が私は大切だと思います。
中学の部活で、上級生がなんかやらかして(そんな、親がヤキモキするようなことは、もう何度も…)「活動中止」なんてことがありました。後で聞いた話ですが、その時、中一だった次男が、職員室の顧問の先生のところに行って「部活をやってください!お願いします」と泣きながら頼んだそうです。なんというか、そういういろんなことを成長の糧にしてもらいたいと、思っていました(そう思うしかない、っていうのが正直なとこでしたが)。

いろんなことは、起きる訳で。ずっと、親がなんとかしてやるわけにはいかないのです。だから、いろんなことを乗り切る力も、つけていかなければいけない。で、そういう力は、サッカー選手としての成長にもかなり大切だと思うのです。



親が、人の評判を頼りに、あっちがいいとかこっちがいいとか、入れてはみたけどやっぱりあっちだったとか、フラフラするのではなく、成長した自分の子どもを想像して、今何を大切にしたらいいのか、しっかり考えて導いてあげて下さい。

君の知らないメロディ 聞いたことのないヒット曲

マニアじゃないんですけど、音楽好きで、CDも結構持っています。横浜のレコファンとか、東京方面に行くと、実家に寄らなくても御茶ノ水のdisuk unionにはつい入って、二三枚買っちゃうんです。それを、iTunesに入れて、適当にプレイリストを作って、iPadに同期させて、シャッフルして車で主に聴いています。

ところが、最近ひょんなことで、Tunein Radioというアプリを知り、有料版85円というのをダウンロードしたのですが、これがもう…!
一生懸命「60年代のアメリカのラジオ」のイメージとかで作った自分のプレイリストは、もうどうなっちゃうの?という感じです。


インターネットラジオというのですか、ともかく、ものすごい数のラジオ局があって、それが簡単に聞けちゃうんです。詳しい使い方は、検索すればいくらでも出てくると思うので、そちらを参照して下さい。

でもこういうのは、手探りでいろいろやりながら覚えていくというのが、楽しいかなと思います。
「音楽」というカテゴリーからジャンルがでてきて、私は「クラシックロック」とか「オールディーズ」とか「ジャズ」とかを選ぶわけですが、そこから世界中の放送局がたくさんでてきて、そこから、好きなのを選べるというわけです。

局によってこだわりがあるようで、大まかにジャンルわけしてあっても、カントリーロック中心のところとか、ジャズでもビバップ(よくわかってませんが)をおもにかけるところとか、あるみたいです。

たまにジングルらしきのが入るくらいで、後は、ずっと音楽がかかりっぱなし。電波の具合(?)でときたま音が飛びますが、気になりません。ラジオですから。
中学生の時に、買ってもらった、ナショナルのラジオで、ダイヤルをクルクル回してたのを思い出しちゃいました。


こんな寒い日には、ヴァン モリソンが聞きたくなります。で、アイルランドとか、そんな感じで探していると "Irish Pub Radio" なんて、いかした名前の局を見つけちゃいました。
アイリッシュミュージックはロックの源流のひとつ。辛い仕事を終えた男たちが、酒場でジョッキ片手に、笑いながら大声で歌っている姿なんかが思い浮かんでしまいます。

せつない気分と、楽しい気分。音楽のマジックです。




野洲 対 青森山田戦 を見て考えた

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。



晦日駒沢陸上競技場で、高校選手権の野洲青森山田戦見てきました。上大岡の現場で午前中仕事して、そのまんま突っかけサンダルで…。



前半は青森ペース、後半に入って暫くしてからですかね、野洲らしさ全開になったのは。

野洲は、岩谷篤人 さんというヘッドコーチが技術、戦術を担当しているそうです。滋賀県のセゾンFCを設立した方で、山本監督に懇願されて野洲のヘッドコーチに就任したというのは有名な話です。
セゾン出身の選手はかつては、静岡学園という流れだったみたいですが(今季限りで現役を引退したベルマーレの坂本選手が、セゾンから静学でした。俊介を擁する桐光学園と、選手権の準決勝で戦ってましたね)、岩谷コーチを慕って今は野洲に来ているみたいです。
つまり、多くの野洲の選手は、岩谷コーチの元で小学校から一貫指導を受けているわけです。
岩谷コーチのインタビューを何回か読んだことがあるんですが、パスサッカーのことを「巨大なロボットがドリブルしているイメージ」(ちょっと正確じゃないと思います、でもニュアンスはそんな感じでした)と言っていたのが、妙に記憶に残ってます。なんかわかる気がします、言わんとしていること。

野洲の選手はみんなドリブルが上手いのですが、一人が持って仕掛ける時に後ろの選手が追い越して行くんですね。一人、二人と。そんで、そこに出したり出さなかったり、その瞬間にもシザースやら何やらをボールを持ってる選手が絡めてくるんで、もう守ってる方にしてみれば、何が何だかわからない状態になっちゃうんじゃないでしょうか。
で、さっきの言葉を思い出しました。
オーバーラップが、大きなフェイントになってる。つまり、高速のジャイアントロボみたいなのがシザースをしているイメージです。左右から上がって行けば、二回またいでいるような感じ。チームでフェイントをかけて、相手を翻弄して、崩して行く。チームとしての年季を感じます。



岩谷コーチ 遠くから見てても雰囲気あります。


青森山田もさすがです。ギリギリだったかもしれませんが、しっかりと守っていた。おそらく、プラン通りの展開だったと思います。後半の失点も、相手に対応した左サイドバックの判断ミスだと思います。無理せずコーナーに逃げていれば、問題なかったんじゃないでしょうか。左サイドバック、悔やんでましたけど…。でも、これ、並のチームだったら、何点取られてたかわかりませんよ。


青森山田 黒田監督 全国から集まった逸材をまとめ上げます。


野洲 山本監督 なんか、かっこいいですね。


なにせテンポが早いんだけど、それに変化をつけるような選手がいると、もっと面白くなるんじゃないかとも思いました。すみません、素人がえらそうな事言って。
テンポもそうなんだけど、ドリブルもみんな似ているというか(乾も似てますよね)。同じ練習をずっと一緒にやってきてるんだから、当たり前だと思いますが。もしかしたら、3番のセンターバックの選手がそんな役回りだったかもしれません。シンプルにボールを捌いたり、まっすぐ持ち上がって行って引きつけてから出したりと、普通にやっていました。普通にやってるのが逆に目立つという、野洲です。


Jクラブの誘いを断って明治大に進学ですか。U-18 代表 青森山田 室屋選手。
対する野洲の3番飯田選手は…専修大?ホントですか?



チームのカリスマ指導者に思い描くサッカースタイルがあって、その指導法も確立していて、ジュニアから18歳までの道のりができている。そのサッカーが好きなファンもたくさんいる(私の座った周りなんて、OBでも保護者でも滋賀の人でもコアなサッカーファンでもないのに、ほとんどが野洲のサッカーを応援していました)。これって、Jクラブでもなかなかなし得てないと思いますよ(Jアカデミー福島も、サッカーは相当面白いらしいですけどね。見たことないんで)。

トップチームに就任した監督がポゼッションサッカーを標榜しても、負け続ける、降格が近づくと監督を変える、スタイルも変える……となる。
どうなっても、スタイルを崩さない。経営陣から現場までそこまで徹底してるJクラブって、広島くらいなんですか? F東もそうなのかな? 経営の事とか考えると、難しいんですかね。さっぱりわからないとこですけど。


野洲は、ここから先もあるといいのに、と思いました。ここまでは、言ってみればカンテラなんですから。ここで育った選手が、切り売りされてもいいんだけど(表現悪いですね。ごめんなさい)、このチームの完成形も見てみたいと。
チャビがマンUとかでプレーしたとしても面白そうじゃないのと一緒で、野洲の大人のチームでプレーする望月選手とか、乾選手とかが見てみたいですね。足りない部分を移籍で補って、とか…。青森山田出身の柴崎選手がボランチに入ったら、面白そうじゃないですか?。

高校サッカーという日本独特の育成の舞台があったからこそ、ここまでできたのかもしれませんが、山本監督にプロデュースみたいなことやってもらって、現場は岩谷さんで。セゾングループがバックアップで、滋賀からJを目指すってのはどうでしょうかね?
少々負けても、お客さん入ると思いますよ。あのサッカーを続けていれば。
昨日は15000人ほど入ったらしいのですが、あれは、日本テレビでも、サッカー協会でもなくって、両校のサッカーの魅力が引き寄せたんだと思います。ものすごいことです。



岩谷さん今年限りで野洲を退任されるそうです。




この試合に先立って行われた修徳×鳴門も見たんですが、修徳のボールタッチが、国学院久我山とちょっと雰囲気が似ていたような気がしました。すごく丁寧。神奈川も、他から見ると神奈川らしさみたいなのあるのかな?
都予選では、久我山の方が内容が良かったらしいのですが、修徳もなかなか面白かったです。東京もレベル高いな。私が高校生の頃は帝京と、それ以外って感じだったけど。
なんか、ジュニアユースのクラブチームもたくさんあるみたいですね。久我山の監督さんもクラブ持ってるみたいだし。あのポゼッションサッカーも、全国で見たかったですね。

高校年代のサッカーって、色がはっきりしているところが多くて面白い。あの、涙のロッカールーム的な盛り上げ方とは別次元の魅力が、あると思います。現場の努力の積み重ねです。


清流の速いウイングを擁したサッカーっていうのも、以前のバレンシアとか思い出させてくれたよなあ。

get on the bus 2

最後の試合の後。みんないい笑顔です。

KSリーグで優勝が決まったあと、しばしその余韻を噛み締め、さて2週間後には参入戦、ということになった時、誰からともなく「…バスは?」の声。
バス。。。またバスですか。。。
引退してしまった部員もいるし、忙しい年の瀬、保護者もそんなに行く人いないかもよー、いちおう希望とってみますか、と言っているうちに、あれよあれよとバスはもう出ることになっていきます。
温泉行きたいだの前泊したいだの、(前回の関東大会で餃子の味を覚えてしまったので)やっぱり餃子は外せないよねーだのといろいろ要望もありましたが、諸処の事情と最大公約数をとって日帰りバス(餃子の食べられる&買えるSA経由)、ということで落ち着き、師走の東北道を一路矢板中央高校へ。

矢板中央高校のサッカーグラウンドは、学校から歩くと20分ほど。当初バスは、道が狭くてそこまでは行けない、ということでした。ところが、神奈中バスの運転手さんは、その狭い、畑の間の道へハンドルを右に切り、グランドへバスを向けてくれたのです。「おお!」「うめえ!」プロのハンドルさばきに、車内は、ぽっと、テンションが上がりました。

なんか、遠足みたいだな、と思いました。

本当に、この一年、あっちこっちに行きました。なんか、選手たちと同じ行く先へと向う、バスに乗っかって旅をしてきたような、そんな気がします。


そういえば、関東大会の武南戦の後には、監督の計らいで、競技場から宇都宮市街まで、選手の乗るバスに、数名の保護者が、乗せてもらうなんてこともありました。なんか緊張しちゃいましたが、みんなの素顔が見れて面白かったです。決勝ゴールを上げたヒーロー、コウジ君の「あずさ二号」も聞かせてもらったし…。


自殺点もあわせると「チーム得点王」なんて言われてたコウジ君。ゴールの『狩人』?


最初はそんなに応援に来る保護者もいなかったように思うのですが、知らず知らずのうちに増えてきました。保護者だけじゃなくて、OB、同級生、女子サッカー部、他の高校の友達…。そんな、何百人とかじゃないんですけど、お義理とかじゃなくって、本当に「応援したい」という気持ちの人が少しずつ増えていった。
なんか、すごいなと思っていました。


もちろん、結果をだしたからっていうのもあると思うんですけど、それだけじゃなかった。

負けた試合のあと、キャプテンのシュン君は「ほんっとに、すみませんでした」と、いつも申し訳なさそうに頭を下げてくれました。
KS優勝の後、グラウンド横で、みんなが寒い中余韻に浸っている時、マモル君は「応援どうもありがとうございました。ぜひ、昇格戦の前に温泉も楽しんでください。最後の試合も、みんなで一緒に頑張りましょう!」と、泣かせてくれました。
トム君の応援も大きな楽しみの一つでした。審判や、相手チームを罵ったりしないで、しっかり笑いを取る。レベル、高いです。新曲も次から次へと飛び出しました(私が好きだったのは「♪ やまじたくやが きょうもキレてる こころウキウキワクワク」です)。


人柄とか、態度とか、雰囲気とか、なんか、応援したくなっちゃう。彼らが行く先に、ついて行きたくなっちゃう。そういうチームでした。



今回の昇格戦。選手たちは前日に出発。
授業を終えてからバスに乗り込んだので、ちょうど学校には生徒がいる時間帯で、たくさんの見送りを受けました。


バスが校門を出て、境川を渡る橋に差し掛かると、選手達の目にこんな光景が飛び込んできました。








言ってしまえば、彼らは決してサッカーのエリートではありません。でも、誠実に、必死にサッカーに取り組む姿が、人の心を動かし、応援する人を増やしていきました。それで彼らもまた頑張る。そんな、気持ちのいい繋がりができていきました。
一緒にバスに飛び乗り、ガタゴト揺れながら、旅をともにできたことを感謝します。



ほんとうに楽しい旅でした。どうもありがとう。




get on the bus 1

 藤沢清流 1-6 国学院久我山



短いパスで組み立てて崩して行くスタイルをとっているチームは、これまでも数多く対戦してきましたが、久我山が際立っていたのは、守備の方だと思いました。清流がボールを奪った後の切り替えが早く、自陣でマイボールになった時は、逆にピンチに。ここまで、作り上げてくるのは並み大抵な事ではないと思います。

ベンチワークもうならされます 。隣で見ていた長男が「ちょっと機能してない」とつぶやいていた選手がいたのですが、前半の20分頃に早々に交代。
先取点は、そこからほどなくして生まれました。

また、攻め込んだ時の、GKを中心としたゴール前の守備も固かった。
前半終了間際のマサ君の得点で追い上げムードで入った後半、清流はサイドが機能するようになり、何度か攻め込み、チャンスを作りました。コーナーも再三取りましたが、なかなか得点には至りません。逆にその時間帯にカウンターから追加点を奪われ、大差がつくこととなりました。

180越え三人と、マモル君、コウジ君が飛び込むコーナーは、清流の大きな武器でした。


後半なかば過ぎ、キャプテン シュン君交代。本当にご苦労様。

しかし、何点とられても、清流は攻める事をやめません。いろんな感情を押さえて最後のゲームをやりきろうと、必死です。

デカマツ君のヘディングシュートがバーを叩く。
マサ君とデカマツ君のCFのポジション争いも、このチームを成長させてきた要因の一つだと思います。

左サイド、ケンジ君のドリブルは後半に入って効いてきました。タイミングをずらして相手の逆をとる、関東大会予選で彼が冴え渡っていた、法政二校戦を思い出しました。

また、彼に交代して入ってきたリク君も、数少ない出場のチャンスの中で、精一杯力を出し切ろうとしていました。彼の事は小学生の時から知っていたのですが、玉際で体をはって強引に自分に有利な体勢に持って行くドリブルは、見ていて気持ちがいい。

ポゼッションスタイルのチームのパス回しの特徴として、相手のゾーンの間で受ける、というのがあるらしいのですが、それを成り立たせる技術は相当なものです。スッとフリーでパスを受けるので、見ていると「何で、取りに行かないの?」と映るのですが、そう簡単な事でもないのです。
でも、久我山のそんな見事なパス回しに、後半マモル君が勇気を持って前に出てボールを奪おうとしていた。それが、清流に流れを呼び込んだ大きな要因だったと思います。

80分すぎ頃だったでしょうか、チームの得点王、ジュンジ君がゴール前の混戦から放ったシュートは、本当に彼らしいものでした。普通打てないでしょ、という姿勢からでも、強く低い弾道のボールが蹴れる。強靭な下半身のなせる技です。
左右のキックに加え、豪快なダイビングヘッドも決める。そのほとんどがワンタッチシュートです。彼はトップ下にいて、守備にも奔走しながら、シュートチャンスには必ずエリアに入ってきます。ビルドアップや守備の際は中盤、攻撃時にはFW。オフ時にそうした動きを繰り返し、清流に何度もゴールを呼び込みました。
しかし、そのシュートもクロスバーに弾かれました。それが、このゲーム最後のチャンスでした。





ちょうど一年ほど前、このチームの始まった当初に酒井コーチは、ビルドアップの際にボランチの一枚を最終ラインまで下げないでCBの二人とキーパーで繋ぐやり方を選んだのは、「GKが足下の上手いトッツーだから」と言っていました。

また同じ頃、保護者の前で海野GKコーチは、副キャプテンの一人にトッツーを皆が選んだことに触れ「この学年は、ゴールキーパーの重要性をわかっている。」と評価していました。

試合終了後、応援席にスタッフと選手が向う時に、泣き崩れそうになったGKトッツーを、海野コーチが横から支えていました。キーパー同志だからこそわかる、言葉にならない思いがあったのだと思います。二年半厳しい練習を共に積み重ねてきた師弟の胸が熱くなるような、美しいシーンでした。





こうして、このチームで戦う最後のゲームは終わりました。

…つづく。